“LGBT”が嫌い

“LGBT”という言葉が嫌いだ。
特に昨今の人権意識の高まり〜という文脈で使われると、
苦虫を噛み潰したような顔をするしかなくなる。

サイトの紹介ページにも記してあるが、僕は所謂”ストレート”ではない。
自身の性自認・性的指向と合わせて、
僕がなぜ”LGBT”という言葉に拒否反応を示してしまうのかを記す。

自身の性自認・性的指向

まず、性自認と性的指向という言葉について確認しておく。
少しでもジェンダー論をかじったことのある方は読み飛ばしてもらって構わない。

性自認

性自認とは,自分の性をどのように認識しているのか,どのようなアイデンティティ(自己同一性)を自分の感覚として持っているかを示す概念です。
性自認 性的指向 – 法務省 より)

早い話が「あなたの性別は?」という日本語に対する答えである。
性同一性・ジェンダーアイデンティティともいう。

性的指向

性的指向とは、人の恋愛・性愛がどういう対象に向かうのかを示す概念を言います。
性自認 性的指向 – 法務省 より)

こちらは自分が好きになる相手の性別である。
異性愛・同性愛・両性愛などが代表的だろう。

僕自身、性自認は男性、性的指向は極めて微妙(無性愛?)であると自覚している。
思春期以降、異性に対する性的魅力を感じることがなかった。
Aセクシャルという分類が一番適切であると考えている。
しかしながら、現状そうであったとしても、この先本当に全く「無い」のかはわからない(性的指向があることは明確に自覚できるが、ないことは自覚することが死に際までないのではないだろうか)。
それが僕たちのような性的指向を持ってしまった(あるいは持つことのできなかった)者の悩み、苦しむところである。

“LGBT”が気に食わない理由

話を戻そう。僕は”LGBT”という言葉が鳥肌が立つくらい嫌いだ。
そこには2つの理由が存在する。

まず、”LGBT”が全ての性的少数者を指す用語であるかのように用いられている現状がある。
LGBTはLesbian(女性同性愛者), Gay(男性同性愛者), Bisexual(両性愛者), Transgender(性自認の不一致)の頭文字を取った略称である。
確かに世間一般にいう性的少数者はこれらの人たちのイメージが強いが、僕のように「そうではない」性的少数者も確かに存在する。
僕は「LGBTですか?」と尋ねられた際にはノータイムで「いいえ、違います」と答えることができる。しかしそれはストレートであるということではないのだ。

次に、この理由が一番大きいのだが、”LGBT”が性自認と性的指向を一緒くたにして述べてしまっているということがある。
“LGB”は性的指向の話だが、”T”は性自認の問題だ。
この点を明確に分類することもないこの用語が、性的少数者を語る上で用いられてしまっていることがどうしても我慢ならないのである。
このあたりをもう少し上手く扱うためのSOGIという概念も存在するので、そちらを使って貰ったほうが何億倍もマシだ。

まとめ

僕は”LGBT”警察的なところがあるので、性的少数者に言及するときはちょっとだけでも気を使ってみると良いかもしれない。
他にもっと適切な概念が存在するのだから、LGBTとかいう表現は捨ててしまいませんか。

 

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